離婚、シングルマザー、数度の転職、6回の入院などを経て辿り着いた幸せの意味。コーチングスクール運営など多方面で活躍/中原阿里弁護士(CLARIS法律事務所)
大学卒業後は華やかな世界で働き、結婚を機に専業主婦に。すぐに娘が生まれたものの、29歳で離婚。受験予備校の受付事務、給食調理職、大学病院の非常勤職など、生活のためにがむしゃらに働いたという中原先生。
ロースクール制度ができたのを機に弁護士になったものの、激務に耐えかねて約10年で6回の入院。改めて自分自身の幸せに目を向け、コーチングなどを学び、スクールを設立されたそうです。現在は弁護士業務だけでなく、コーチングスクール運営、社外役員など幅広く活躍されています。
弁護士を目指した理由とこれまでについて
これまでの経歴について教えてください。
出身は島根県出雲市です。父は公務員、母は元教師で、特に母はしつけに厳しかったですね。ほめられた記憶はなく、とにかく叱られないように「よい子」でいようとしていました。
そんな環境でしたから、とにかく家を出たい一心で、実家から遠く離れた奈良女子大学文学部へ進学しました。
大学卒業後は、広告代理店、メーカー社長秘書を経て、結婚を機に25歳で退職して専業主婦になりました。当時はバブル末期で、寿退社で専業主婦になる人も多い時代でした。
当時の私は特にやりたいこともなかったので、専業主婦として穏やかに暮らすことを夢見ていました。ですから結婚が決まったときは、「ここで穏やかに暮らすんだな」と安心したのを覚えています。
大学に進んでからは、華やかで順風満帆だったのですね。
そうかもしれませんね。日本全体が活気に満ちていて、華やかな世界を経験しました。
結婚してすぐに娘を授かり、子育てをしながら家事をこなし、娘のために毎日のようにケーキを焼いたりしていました。
子育ての役に立てばと思い、大阪大学の大学院に科目履修生として通い、児童心理学や発達心理学も学んだんですよ。
そこで教授に声をかけていただき、犯罪被害者や外国人支援のボランティアにも参加しました。そこで私が知らなかった世界を知り、さまざまなことを考えさせられました。
結婚されて、幸せな毎日を送っている光景が目に浮かびます。
実はそうでもなくて、二世帯住宅で暮らしていた義母との関係がとても苦しかったんです。
義母は完璧に家業をこなす立派な人でした。同じようにできない私は自分自身を責め、精神的に苦しくなっていきました。振り返ると、原因はひたすら私自身が悲観的で、抱え込む傾向にあったこと、誰にも相談できなかったことにあると思います。
そしてある台風の日、私は幼い娘を抱え、荷物も持たず裸足で家を飛び出しました。なぜ飛び出したのかさえ覚えていません。
今振り返れば無謀で、別の方法もあったとは思いますが、当時の私ができる精一杯がそれだったんだと思います。
そこからどうやって生活されたのでしょうか?
友人や親戚の家に世話になりながら、受験予備校の受付事務、試験の採点など、とにかく生活費を稼ぐためにがむしゃらに働きながら、安定した仕事を探しました。
当時私は29歳で手に職もなく、幼い子どもを抱えていたのでなかなか仕事が見つかりませんでした。
それでようやく見つけたのが、地方公務員の給食調理職だったんです。
その1年後には、親戚から紹介されて大阪大学医学部附属病院で非常勤職として働くことになりました。
医事課で医療事務の仕事をすることになったのですが、全く経験がないので必死でしたね。
壮絶な日々を送る中で、誰かや社会のせいにするような感情はなかったのですか?
それはなかったですね。自分の人生ですし、とにかく目の前の生活と仕事に必死で、誰かや社会のせいにする余裕もなかったのかもしれません。
大学病院で医療事務の仕事、大変そうですが安定した仕事に就けたのですね。
そうですね。そしてこの病院での仕事が、私が弁護士を目指すきっかけになったんです。
というのも、大きな病院ですから、1日3000人ほどの患者さんが訪れます。
亡くなる方、何年も病院に通っている方、大怪我を負った方、本当にたくさんの方の人生を垣間見たんです。
そして人の悩みや困り事は、社会制度から漏れてしまったときに起こることが多いんだとわかりました。
たとえば難病指定を受けられない難病の方、公的援助を受けられず医療費が払えない方などです。
ところが自分には、社会制度そのものにインパクトを与えられるような力がないことに、大きな無力感を覚えました。
そんな中、ロースクール制度が始まったという報道を見たんです。
ロースクールには、法律を学んだことがない人向けのコースも用意されていて、「これだ!」と思い弁護士になることを決めました。
もちろん社会を変えるための仕事は弁護士だけではありませんし、それこそ官僚や医師になることも考えました。
ただ、自分の年齢など色んな条件を考えると弁護士という選択肢がベストだと思いました。
ロースクール制度を知ってから決断するまでは早かったのでしょうか?
はい、すぐに決めました。ただ、決して思いつきや衝動的なものではありません。
それまでに出会った人たち、経験した出来事、そして私自身か感じていた無力感や人のために役に立ちたいという想い、そういった色んなものがピタッとハマったんだと思います。
当時、コツコツ節約して貯めた貯金が約700万円ありました。それがちょうど、3年間ロースクールに通って1回で司法試験に合格すればなんとかなるという金額でした。
ロースクールに入ってからは、平均睡眠時間は3時間で猛勉強しました。そして無事一回目の司法試験で合格し、40歳で弁護士になりました。
弁護士になってからは、どういったキャリアを歩まれたのでしょうか?
まず神戸市内の事務所に就職して経験を積みました。
そして弁護士2年目に、親しい弁護士が開設した事務所に合流し、共同経営者になりました。結局その事務所は、弁護士12名ほどの大きな事務所に成長しました。
一方、私は2020年に独立して現在の事務所を構えました。
実際弁護士になってみて、思い描いていた仕事ができましたか?
そうですね。弁護士の仕事は個別の紛争を扱うことが基本ですが、その一つの紛争がきっかけで法律や社会の仕組みが変わることもあります。
その大きな流れの中に身を置いて仕事ができるという意味では、思い描いたとおりやりがいのある仕事でした。
ただ数多くの案件を手掛ける中で、「法律的な勝ち負け」と「人の幸せ」は関係ない。大事なことは「自分とのコミュニケーション」だと思うようになりました。
「自分とのコミュニケーション」というのは、「心のあり方」であったり、起きたことに対する「意味付け」です。
たとえば裁判に勝っても、心のあり方や意味付け次第では幸福度は上がらない。反対に裁判に負けても、心のあり方や意味付け次第で幸福度は上がるんです。
もちろん裁判に勝つといった結果は重要ですし、それを目指すことは弁護士としてなにも間違っていません。
ですが「私が弁護士になった意味は、本当にそこなんだろうか」という葛藤がありました。
そういった経験を通じて、ただ依頼者が望むことを表面的に叶えるのではなく、依頼者が本当に望んでいることに目を向け、言葉にならない心の声をすくい上げ、目先の勝ち負けにとらわれない解決を目指すようになりました。
もう一つ大事なことは、「他者とのコミュニケーション」だということもわかりました。
離婚でも労働問題でも、「あのときこういう対応をしていればトラブルにならなかったのに」というケースをたくさん目にしました。
ですから、どれだけ良質なコミュニケーションを取れるかということも大事だと思います。
先生が依頼者に寄り添っていらっしゃる姿が目に浮かびます。その後は順調に弁護士業務を続けられたのでしょうか?
実はそうではないんです。
弁護士になってからは、土日も関係なく朝8時から夜中まで毎日働くほどの激務をこなしていました。
そしてストレスと過労から突発性難聴や胃腸炎を患い、弁護士になって10年経つ頃までに6回も入院するような状態でした。
その6回目の入院のときは手術を受け、2カ月の療養生活を強いられたときに、ふと「私は一体なんのために働いているんだろう」と思ったんですね。
そのときにようやく、人の幸せばかり考えて、自分の幸せを考えていないと気づきました。
それで一時は弁護士を辞めて会社員になることも考えたのですが、自分の心のあり方が変わらなければ、また同じことを繰り返すと思いました。
そこから、私が惹かれた「ウェルビーイング」に関する文献を読み、さまざまな学びの場にも参加しました。
そして2019年、「ウェルビーイングをつなぐ」をテーマにした「ラッセルコーチングカレッジ(現ラッセルウェルビーイングコーチングカレッジ)」を設立しました。
ここでは、さまざまな分野を私なりに統合したコーチングを教えています。
自分でスクールを立ち上げるというのはすごいですね。
もちろん世の中には、すぐれたコーチングスクールはたくさんありますし、コーチングは国際コーチング連盟という国際的な組織があるほど世界中で活用されている手法です。
ただコーチというのは国家資格ではなく、人やスクールによって定義や手法が違うんですね。
しかも体系化されていない印象があって、日常生活の中で実践するにはハードルが高いと感じました。
先にお話ししたとおり、弁護士として活動する中で、多くの紛争の陰にはコミュニケーションのずれがあり、コミュニケーションの質が上がれば、人間関係や社会そのものが、もっと滑らかになるのではないかという思い、これがずっと私の中にありました。
そして、その質を上げる手段として、コーチングがとても有効だと気づいたとき、これを広く伝えたいという気持ちが私を動かしました。
コーチングは、互いを尊敬し、相手の可能性を信じて問いの力で支援し合うコミュニケーションでもあります。
そのコーチングが社会のインフラになって、世界中の皆の手のひらにある存在になれば、社会全体の幸福度(ウェルビーイング)が高まるという考えでスクールを立ち上げるに至りました。
私一人で関われる人には限界があります。しかしコーチングができる人が増えることで、私の手が届かないところまでコーチングを行き渡らせることができます。
これまでたくさんの方が受講してくださり、私なりに社会に貢献できている感覚があります。
現在の業務とこれからのこと
現在のお仕事の比率はどういった感じでしょうか?
時期によって上下はありますが、コーチング関係が50%、弁護士としての仕事が25%、社外役員関係が25%といった感じです。
弁護士としては、離婚や相続といった個別の紛争案件は少なく、顧問先からの相談対応やそれに関連する交渉やリーガル的な検討がメインです。
それ以外にも、自殺夜間相談相談や、法テラスの審査員をしたり、できる範囲でさまざまな活動にも取り組んでいます。
また、最近、コーチング分野にまたがる弁護士とともに、弁護士のためのコーチングに関する本を出版しました。
弁護士にとって依頼者対応は重要なポイントだと思います。その点に特化し、コーチング的な依頼者対応の工夫など、弁護士業務に活かせる実例中心の書籍です。
今後の目標などを教えてください。
引き続き、社会のウェルビーイングが高まることを目指していきたいです。
ウェルビーイングやコーチングの観点は、社会のいろいろな場面で応用できる可能性を持っています。
コーチングの素養をもった人が、法律家にも、企業にも増えていくことで、社会に良いインパクトをもたらせると思います。
社会は複雑化し混とんとしていますが、弁護士としても、コーチングスクールとしても、ウェルビーイングが高まるようなかかわりを広く続けていきたいと思います。
弁護士情報
弁護士名:中原 阿里
所属弁護士会:兵庫県弁護士会
事務所名:CLARIS法律事務所
事務所住所:兵庫県芦屋市船戸町5-26マリアキャリーヌビル2階
ラッセルウェルビーイングコーチングカレッジHP:https://claris-russell.com/
経歴:
2009年 弁護士登録
2019年 ラッセルコーチングカレッジ(現ラッセルウェルビーイングコーチングカレッジ)設立
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